海軍機と陸軍機の設計思想

日本の戦闘機が本格的に戦闘を行ったのは、日中戦線のロシア機でした。当時の欧米諸国は、有色人種である日本人がまともに戦える飛行機など作れるわけがないと甘く見ていました。そのため中国戦線に新鋭機を投入することもなく、日本の量産機である九五式戦闘機のような複葉機を送り込みました。しかしながら九五式戦闘機は優れた旋回性能を活かして各地で連戦連勝を重ねていましたが、ロシア機を駆る中国軍も更なる新鋭機や戦法によってどうにか損害を五分程度まで盛り返します。そこにある戦闘機が登場したことにより、戦況は一変します。

突然中国空軍の目の前に現れたのは、三菱製の零式艦上戦闘機一一型です。零戦は優れた速度と旋回性能、広大な航続距離と20mm機関砲の大火力でそれまでのロシア軍機を叩きのめしました。この無敵とも言える戦闘機はもはや敵無しとまで言われ、中国の空を支配しました。またこの零戦の華々しいデビューの裏では隼といわれる陸軍の一式戦闘機が誕生しました。

今回はこの零戦と隼に見る設計思想の違いを考えていきましょう。

海軍は空母での運用を前提としたものに「艦上」と付け、陸上の運営を前提としたものに「陸上」または「局地戦闘機」と付けていました。つまり零式艦上戦闘機は、空母での運用を前提とした戦闘機ということになります。陸軍と違い、海軍は常に海上での運用を考慮しなければなりませんでした。つまり空母のエレベーターに収まるように、だとか荒れる海上での着陸が容易に行える、といった前提条件があったのです。しかし欧米の戦闘機を倒すためにより良いものを産み出すためにはそうも言っていられません。ついに零戦には全ての制約を取っ払い速度と航続距離、火力と旋回性能のみを過度に要求しました。つまり零戦は、傑作の戦闘機に海上運用機能を後付けさせた艦上戦闘機ということになります。

対して陸軍は、海上での運用を想定していないため、制約のない戦闘機を開発することができました。また性能のために防弾設備を着けなかった零戦に対して、隼には操縦席の後ろに防護板を設置したりと防弾設備も盛り込まれています。ただ、零戦と同じ発動機を使っているにも関わらず、飛行性能は平凡で九七式戦闘機の特性を受け継いだ保守的な戦闘機でした。大戦後期に防弾設備を施した海軍と違い、陸軍は一貫して戦闘機に防弾設備を施していました。

デビューこそ地味な一式戦闘機でしたが、そこでの技術はのちの疾風、四式戦闘機に受け継がれ日本軍機史上最強と言われるまでになっています。

まとめると、常に新技術を盛り込んで新しく戦闘機を産み出す海軍に対し、前身の戦闘機の長所を元に新型戦闘機を産み出す陸軍ということになります。

派手な海軍と地味な陸軍のように見えますが、常に傑作を産み出さなければいけない海軍は大きな壁に立ちはだかることになります。零戦を越える戦闘機を作らなければならなかったのです。しかし大戦が始まり余裕もない中そのような戦闘機を設計することは難しく、零戦をその都度バージョンアップさせることしかできませんでした。

しばしば零戦は、防弾設備がないために人命軽視の戦闘機であると言われていますが、ここが陸軍との設計思想の決定的違いになります。すべてにおいて優れた戦闘機であれば、防弾設備を施さなくてもやられる前にやるといった海軍と、戦争である以上常に命の危険に晒される兵士を、少ない機体的余裕の中最低限の防弾設備を施した陸軍ということになります。零戦は、人命を軽視したのではなく防弾設備を施さないことによって人命を守ろうとしたという訳です。

しばしば連合軍から誤認される零戦と隼。同じ発動機を搭載した一見兄弟のように見える戦闘機ですが、その中身は設計思想が異なる

全くの別人です。どちらが優れているかを考察すると賛否両論になりますが、その賛否こそが零戦と隼の決定的違いと言えるのではないでしょうか。

次回は零戦を中心に海軍の航空機を見ていきましょう。